苦しいと言わない、面白くなってきた~
人の長い人生の中には調子の良い時も悪い時も嬉しい時も悲しい時も怒りを覚える時もいろいろな状況に直面し<上り坂>、<下り坂>、<まさか>がある話を先週はしました。
今週は<まさか>への対応に少しは役に立つ話をしたいと思います。
幕末から明治にかけての動乱は日本が大きく近代国家へ変貌する上での過渡期で価値観も社会制度も大きく変革した時期でした。
幕末を語る上で、かかせない人物が吉田松陰先生です。
その松陰先生が子弟達と暮らしを共にし、自ら教えた私塾が松下村塾です。
直接の指導は短い期間(1年~2年間)ながらも、彼の熱意と想いと国を憂う気持ちはその後の維新の志士達に伝わり、脈々と受け継がれていきます。
松陰先生の決意を表したのが『留魂録』(りゅうこんろく)で松陰先生が、1859年(安政6年)に処刑前に獄中で松下村塾の門弟のために著した遺書です。
この松下村塾塾を導いていた筆頭が4人いました。
久坂玄瑞、高杉晋作、吉田敏麿、入江久一です。
この4人を評して松陰先生は「『識』の晋作、『才』の玄瑞」等として以下の人物評を残しています。
久坂玄瑞:突出した才能のある玄瑞は、知識があり才能がありすぎるがゆえに、学者気質で、理想論を追い求めて周りが見えなくなる。
高杉晋作:晋作は知恵は少し足らないが、時世を見る見識は誰よりも高く、現実的かつ政治家気質であり、物事を客観的に見て判断を下す。
吉田稔麿:稔麿は寡黙ながら才能は際立っていて一見そうは見えないけれど、実は芯がしっかりしてとても頑固である。
入江九一:九一は「久坂君たちは優秀だが度胸がない。しかし君たち兄弟だけは、国のために死ぬことができる男児である」と松陰先生は絶賛しています。
4人のうちの一人、高杉晋作の言葉に「苦しいという言葉だけはどんなことがあっても言わないでおこうじゃないか!真の楽しみは苦しみの中にこそある。」というのがあります。
私が敬愛する吉田松陰先生の一番弟子として久坂玄瑞と共に日本を大きく動かす火種をつくり松陰先生の言う「知行合一」を実践したのが高杉晋作でした。
私はこの言葉がとても好きです。
「苦しい時ほど楽しんで、その苦しい時を乗り越えた先にある喜びや達成感を味わう」これは最高に喜びを感じられるものです。
普段何事もなく平穏に過ぎてくだけでは、その平穏に過ぎてゆくこと自体のありがたみや幸せというものを感じることがなくなり感覚が鈍くなるのです。
だからこそ、人生も企業もチャレンジをして少し背伸びをしたところにゴールを設定して、それを達成する為に苦しみながら乗り越えてゆくという時期が必要だと思うのです。
皆さんも、気が付いているかもしれませんが、私がよく口にする言葉として問題が多く厳しくなればなるほど・・「面白くなってきたな~」というのがあります。
目の前は大変で苦しさも半端ない状態であったとしても、それを面白く感じさせて自分を奮い立たせて問題解決に当たるという心の中からの叫びの様なものがこの「面白くなってきなた~」に凝縮されています。
これを乗り越えたらきっと楽しく幸せになるという自己暗示の様なものだと考えてください。
皆さんも仕事に限らず人生のいろいろな局面で「大変な壁でどうしよう?」と思い悩む局面が必ず一度や二度はあります。
その時に「苦しい」と言わず「面白くはなってきたな~」という言葉を発することで、勇気と力が沸いてきます!
是非、実践してみてください。
すべては「知行合一」です。